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弘法大師がおわします
奥の院の入口 |
上杉家墓地の中央に建つ
謙信公の御廟 |
二代景勝公のお墓 明治37年に再建 |
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覚上院殿権大僧都宗心法印と
記される |
三代定勝公のお墓
翌年正保3年建立 |
大上院殿権大僧都隆心法印と
記される |
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四代綱勝公のお墓
翌年寛文5年建立 |
上生院殿権大僧都◯◯◯◯心と
読める◯は贈法印蓮だそうです |
四代夫人媛姫(はるひめ)様の
お墓 |
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◯光院殿月◯正大姉と
読めました
「清光院殿日汀正心大姉」
とのこと |
五代から八代までの
4代の藩主のお墓 |
五代綱憲公のお墓 |
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◯◯◯殿権大僧都贈◯
と読めますが
「法林院殿権大僧都贈法印映心」とのこと
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六代吉憲公のお墓
翌年享保20年 |
覺徳院殿権大僧都◯◯法印泰心と読める
「樹徳院殿権大僧都贈法印泰心」とのこと
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七代宗憲公のお墓
翌年享保20年建立 |
権大 と ◯心 の字しか
読めません
「桂徳院殿権大僧都贈法印岳心」とのこと |
八代宗房公のお墓
翌年延享4年建立 |
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肝心の所が苔で読めません
「英徳院殿権大僧都雄心」
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四代藩主夫人の隣に並ぶ
三基のお墓 |
右の直江兼続公夫人のお墓と
他に二基 |
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おせんの方のお墓
さや堂のようです |
右側には米沢直江山城守◯◯と
読めます |
左側には寛永十四天正月四日宿◯清◯ |
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隣には「大◯院殿英岩大禅定尼」と読め |
淀の方は
大虞院殿英岩(厳)大禅定尼 |
その隣に
「◯◯寺殿秀山大居士」と読め |
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豊臣秀頼公は
帰寂山高陽寺殿秀山大居士 |
仲良く並んでいるかのように
見えます |
高野山の上杉家菩提寺
清浄心院 |