笹野観音堂棟札復元図、笹野観音堂絵図面軸装などの各資料です。※ 米沢市教育委員会提供
尚、図面等は大工棟梁であった長井市寺泉渋谷嘉蔵家所蔵のものです。
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昔、征夷大将軍の坂上田村磨呂が千手千眼観世音菩薩を安置し、旅の僧が羽黒大権現を祀って、
笹野山の山上に大悲閣と羽黒堂があったと伝えられている。
大同元年(806) 4月 | この地にハ間四面の観音堂を建立する。 |
弘仁元年(810) 7月 | 落成して徳一上人を開山の第一世として入仏供養を行う。 |
永享年中(1429〜1441) | 宥日上人が観世音菩薩と羽黒大権現を秘仏とし、新たに千手千眼観世音菩薩を祀る。 |
天正5年(1577)4月 | 伊達氏第十七世、政宗公が開帳供養を行う。 (御年11) |
慶長年中(1596〜1615) | 上杉景勝公の祈祷師の善蔵坊清順が羽黒山より勧請した羽黒大権現を観音堂の後神として祀る。 |
慶長6年(1601)) | 上杉家二代、藩主景勝公が観音堂を修理される。 |
寛永11年(1634) | 上杉家三代、藩主定勝公が観音堂を修理される。 |
慶安5年(1652) | 上杉家四代、藩主綱勝公が観音堂を修理される。 |
寛文6年(1666) | 上杉喜平次公が観音堂を修理される。(後の綱憲公) |
元禄3年(1690) | 上杉家五代、藩生綱憲公が観音堂を修理される。 |
安永8年(1779) | 上杉家十代、藩主治憲公が4年をかけて観音堂を再建し、11月に入仏供養を行う。(鷹山公) |
天保4年(1833)1月 | 火災で観音堂が消失する。 |
天保14年(1843) | 上杉家十三代、藩主斉憲公が3年をかけて観音堂を再建し、6月に落成して藩内各宗の寺院によって落慶、入仏の法要を7日間行う。 |
明治28年(1895) | 屋根の総葺替えを行う。 |
昭和58年(1983) | 屋根の修繕総葺替えを行う。 |
第 1世 | 徳 一 | 大同年中、観音堂建立せしより中興と称す |
第 2世 | 真 寂 | 延喜22年(922)中住す |
第3世より第31世までの29代、約230年間不詳 | ||
第32世 | 政 任 | 久寿元年(1154)中住す |
第33世 | 隆 任 | 応保元年(1161)中住す |
第34世 | 快 遍 | 長寛元年(1163)中住す |
第35世 | 祐 範 | 建久10年(1199)中住す |
第36世 | 禅 遍 | 貞応2年(1223)中住す |
第37世 | 実 応 | 延応3年(1241)中住す |
第38世 | 成 順 | 正元2年(1260)中住す |
第39世 | 実 祐 | 文永元年(1264)中住す |
第40世 | 良 雄 | 弘安3年(1370)中往す |
第41世 | 頼 淳 | 正和3年(1314)中住す |
第42世 | 信 海 | 元応元年(1319)中住す |
第43世 | 宥 照 | 応安3年(1370)中住す |
第44世 | 宥 勢 | 明徳元年(1390)中住す |
第45世 | 玄 海 | 応永元年(1394)中住す |
第46世 | 海 尊 | 玄海の後を襲ぐ |
第47世 | 良 明 | 海尊の後を襲ぐ |
第48世 | 春 尊 | 良明の後を襲ぐ |
第49世 | 重 義 | 永享7年(1435)中住す |
第50世 | 弘 俊 | 文安7年(1450)中住す |
第51世 | 実 雄 | 享徳3年(1454)中住す |
第52世 | 真 照 | 実雄の後を襲ぐ |
第53世 | 明 宥 | 応仁元年(1467)中住す |
第54世 | 政 宥 | 明応2年(1493)中住す |
第55世 | 宥 誉 | 越後国山東郡下白鳥、真光寺の住僧にして政宥の後を襲ぐ |
第56世 | 宥 遍 | 明応7年(1498)中住す |
第57世 | 宥 意 | 越後国嶋崎、妙徳寺の住僧にして宥遍の後を襲ぐ |
第58世 | 長 運 | 永正元年(1504)中住す |
第59世 | 宥 観 | 大永7年(1527)中住す。越後国嶋崎妙徳寺より来住 |
第60世 | 純 良 | 相馬の人にして、宥観の後を襲ぐ |
第61世 | 弘 静 | 享禄元年(1528)中往す |
第62世 | 良 舜 | 天文元年(1532)中住す |
第63世 | 明 範 | 良舜の後を襲ぐ |
第64世 | 真 宗 | 弘治元年(1555)中住す |
第65世 | 遍 幸 | 永禄元年(1558)中住す |
第66世 | 明 海 | 天正元年(1573)中住す。越後国山東郡吉川荘寛益寺より来住 |
第67世 | 厳 海 | 天正14年(1586)中住す。越後国山東郡吉川荘寛益寺より来住 |
第68世 | 良 智 | 元和元年(1615)中住す。 |
第69世 | 良 達 (昭海法印) |
僧名堯印、寛永元年(1624)中住す。 同21年法音寺住職となり幸徳院谷兼帯。 以後法音寺住職が幸徳院を兼帯する |
当寺兼帯 | 能仙法印 | 僧名能音、慶安年中別当。法音寺4世。 |
当寺兼帯 | 能永法印 | 明暦2年別当。同年遷化、法音寺5世。 |
当寺兼帯 | 宥慶法印 | 僧名専順、明暦2年(1656)別当。法音寺6世。 |
当寺兼帯 | 良遍法印 | 僧名頼心改め各雅。寛文元年(1661)別当。法音寺7世。 |
当寺兼帯 | 能秀法印 | 僧名玄仲、寛文4年(1664)別当。法音寺8世。 |
当寺兼帯 | 能範法印 | 僧名堯稚、天和3年(1683)別当。法音寺9世。 |
当寺兼帯 | 宥寿法印 | 元禄2年(1689)別当。法音寺10世。 |
当寺兼帯 | 宗粲法印 | 僧名頼見、元禄10年(1697)別当。法音寺11世。 |
当寺兼帯 | 運誉法印 | 僧名順賢、元禄16年(1703)別当。法音寺12世。 |
当寺兼帯 | 高政法印 | 僧名堯印、宝永元年(1704)別当。法音寺13世。 |
当寺兼帯 | 純精法印 | 僧名覚伝、宝永6年(1709)別当。法音寺14世。 |
当寺兼帯 | 宥瓊法印 | 僧名教仁、正徳4年(1714)別当。法音寺15世。 |
当寺兼帯 | 宥範法印 | 僧名玄円のち晴山、正徳5年(1715)別当。法音寺16世。 |
当寺兼帯 | 慶粲法印 | 僧名相典、享保8年(1723)別当。法音寺17世。 |
当寺兼帯 | 寛盛法印 | 僧名一音、享保13年(1728)別当。法音寺18世。 |
当寺兼帯 | 詮海法印 | 僧名義詮、享保19年(1734)別当。法音寺19世。 |
当寺兼帯 | 高英法印 | 僧名本利、延享元年(1744)別当。法音寺20世。 |
当寺兼帯 | 隆元法印 | 僧名貞厳、延享4年(1747)別当。法音寺21世。 |
当寺兼帯 | 隆然法印 | 僧名泰厳、宝暦8年(1758)別当。法音寺22世。 |
当寺兼帯 | 堅道法印 | 僧名旭仙、安永8年(1779)別当。法音寺23世。 |
当寺兼帯 | 林岳高宝 | 寛政3年(1791)別当。法音寺24世。 |
当寺兼帯 | 通乗宥玄 | 寛政9年(1797)別当。法音寺25世。 |
当寺兼帯 | 専岳高弁 | 文化5年(1808)別当。法音寺26世。 |
当寺兼帯 | 専明隆周 | 文化9年(1812)別当。法音寺27世。 |
当寺兼帯 | 慈延良興 | 文化10年(1813)別当。法音寺28世。 |
当寺兼帯 | 京音啓典 | 文政2年(1819)別当。法音寺29世。 |
当寺兼帯 | 門地因盛 | 文政4年(1821)別当。法音寺30世。 |
当寺兼帯 | 龍岳高幢 | 文政9年(1826)別当。法音寺31世。 |
当寺兼帯 | 観我高戒 | 天保2年(1831)別当。法音寺32世。 |
当寺兼帯 | 天保12年(1841)別当、観音堂再建住職。 法音寺33世。 |
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当寺兼帯 | 隆興澄韻 | 法音寺34世。 |
当寺兼帯 | 龍 昶 | 嘉永2年(1850)別当。法音寺35世。 |
当寺兼帯 | 達 龍 | 法音寺36世。 |
当寺兼帯 | 龍 晃 | 法音寺37世。 |
当寺兼帯 | 宥 中 | 法音寺38世。 |
第70世 | 龍 全 | 明治2年(1869)住職となる。 |
第71世 | 龍 堅 | 明治10年(1877)住職となる。 金剛峰寺直末時の住職。 |
第72世 | 高梨宥相 | 住山3年。金剛峰寺離末、長谷寺加末時の住職。 |
第73世 | 酒井隆山 | 住山3年。笹野観音保存会創設。 |
第74世 | 酒井清光 | 国有地払い下げ時の住職。 |
第75世 | 酒井清昭 | 昭和26年(1951)住職となる。阿弥陀院の兼務する。 |
現住職 | 酒井龍晃 | 平成15年(2003)住職となる。 |